〇博多奥村醤油とは

日本一醤油の醸造所が昔から多いとも言われる福岡では、つけて美味しい、煮物に使って美味しい、こだわりの醤油が各家庭にあります。そんな福岡で昔ながらの醤油をこれからも末永く使ってもらいたい、そして福岡に来る人たちには「福岡にはこんな醤油があるんだよ」と知ってもらいたいとの思いから昔ながら醤油を復活させたいとの想いがあり、この度、博多奥村のブランドで、昔ながらの博多の醤油復活の序章がスタートしました。

ロゴデザインは、博多の漫画家・長谷川法世さんに描いてもらい、新たに商標登録も行いました。


〇奥村家と醤油の関わり

奥村家と醤油の関わりが深いことは、「筑紫名所豪商案内記」の中に多く記載されています。

 

「筑紫名所豪商案内記」は、国立国会図書館デジタルコレクションの中で紹介されています。

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 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803715

 

 

 奥村家本家【麹屋番奥村利助(利左衛門)】四代目の弟(安兵衛)が分家して博多中島町で醤油の醸造(中島醤油)を始め、長男(源吉)の弟三人も各町に分家して、醤油を製造販売し、家業としました。以降、奥村源市、奥村利作、奥村利吉、奥村治吉、奥村伊右衛門、奥村治七、奥村利平ら大資本を要する醸造家として、同族的な企業の発展をはかり、享保、宝暦、天明、と相続く大飢饉を乗り越え、博多の幕末にマニュファクチャーの勃興期をつくりました。

 福岡県は日本一醤油醸造元が多く存在し、奥村家がその中心的な役割を果たしていたと言っても過言ではありません。

 聖福時の名僧、仙厓和尚は奥村家の繁栄を慶び、自ら墨書して『奥村』の扁額を与えるなど奥村家とは親交が深い関係でした。

   

■福岡歴史探訪 博多区編 柳 猛直 著 海鳥社 より出版

 奥村の先祖は黒田家が豊前中津から筑前に入った時、大賀家について博多に移り、(中略)

 三代目弥右衛門の長男利助が四代を継ぎその弟・安兵衛は中島町に移って醤油屋を営む(中略) 中島醤油の販路は筑前一円から長崎、大阪に及び上質の醤油として名声を博していた。